平安時代の遺跡が眠る星川さんのスイカ畑

 

 

 

「延喜式」にも記述が。由緒ある水駅の遺跡

平安時代に編纂された『延喜式(えんぎしき)』という書物の「諸国駅伝馬条」の中で、「野後(のじり)」という駅に「駅馬を10匹、伝馬を3匹、船を5隻置いた」という記述があります。「駅」は、平安時代に都からの命令を伝令によって各国に伝える際、その道筋に置かれた中継ポイントで、全国でも現在の山形県と秋田県に当たる出羽国(でわのくに)だけに船を配備した「水駅」がありました。「野後駅」は船が5隻配備された水駅で、駒籠にあったと考えられます。駒籠は野尻川と最上川の合流するところに位置し、船の便に供する地点です。さらに「駒籠」という地名が重要な意味を持ちます。駒籠は、駅家にはなくてならない馬の駐屯地を意味する馬込(まごめ)の地名と考えられることも有力な理由です。

 

スイカ畑を発掘調査

昨年の発掘調査の結果、方向がそろった大きな柱をもつ、1200年前頃(8世紀〜9世紀)の平安時代の建物群が発見されました。この建物のうちいくつかは、廂(ひさし)のある構造から、格の高い建物だったことがわかります。また、建物の方向の変化から、少なくとも3回は建て替えられていることがわかりました。このほか、建物と方向がそろっている道路の跡とみられるものや、カマドのある竪穴住居も見つかりました。これほどの建物群は北村山地域では発見されておらず大変な発見であり、普通の集落ではなく、「駅」であった可能性が高いと考えられます。

(広報おおいしだより)

 

発掘調査のあと、また埋め戻された遺跡の上で育ったスイカです。

なんだか古代ロマンの味がしそうです。

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